GENKYO横尾忠則 [原郷から幻境へ、そして現況は?]

HIGHLIGHT [展覧会のみどころ]

「GENKYO」をキーワードに横尾忠則の内面や人生を色濃く反映する世界に分け入ります。

1936-1960

第1章 原郷から

コブナ少年が芸術に生きることを決意するまで

横尾忠則は、1936年6月27日、現在の兵庫県西脇市に生まれました。
3歳の時に、実父の兄で呉服商を営んでいた夫婦の養子となります。
歳のいった養父母に一人っ子として溺愛されて育った横尾は、
川でコブナ捕りに熱中した西脇での幸福な少年時代を反芻し、のちに多くの作品に描いています。
高校入学後、東京から赴任した美術教師の影響で油絵を始め、
美術の道を志した横尾は、西脇市のポスター・コンクールに応募し入賞しました。
高校卒業後は、加古川の印刷所勤めを経て、1956年にデザイナーとして神戸新聞社に入社し、
デザインの道に進んでいきます。
第1章では、「原郷」から地上に降り立った横尾の西脇・神戸での青少年期を探ります。

反物を並べ算盤をはじく養父、日傘をさす養母、セーラー服姿の横尾。西脇で見た、空襲で赤く染まる闇。大阪で見た、戦後の焼け跡。幼少期の記憶は、忘れえぬ原風景として作品に刻印された。《戦後》では、東京大空襲後の焼け野原となった東京の景観に、美空ひばりや笠置シヅ子など、戦後復興期を彩ったスターたちの姿が重ね合わされている。

《戦後》1985年(2017年ハラミュージアムアークでの展示風景)
Photo by Shinya Kigure 作品所蔵および写真提供
公益財団法人アルカンシエール美術財団/原美術館コレクション

《想い出と現実の一致》1998年
富山県美術館

1960-1981

第2章 越境

アートとデザインを往還しながら

1960年、横尾は上京し、精鋭のデザイナーたちが集う日本デザインセンターに入社し、
モダニズム・デザインの潮流の只中で技を磨いていきます。
日本の土俗的なモティーフとポップ・アート的な感覚を融合した、
人目を引き感情を揺さぶる横尾デザインは、30代には早くも世界的な評価を獲得しました。
また、既成の枠組みや社会通念を軽やかに乗り越え、自由に創造活動を展開する横尾の姿は、
若者の注目と支持を集め、「アングラ」の旗手として、
三島由紀夫、大島渚、寺山修司、高倉健、浅丘ルリ子といった文化人たちとの交友が始まるようになりました。
第2章では、イラストレーターとしてのみならず、グラフィック・デザインから絵画、版画、舞台美術、建築、映画出演、小説へと越境的に活躍の場を拡げていく横尾の活動を展覧します。

赤ん坊の頃の写真と、高校の集合写真を背景に卑猥な指のサインを底辺とした三角形の頂点で、薔薇を持ち首を吊る横尾。新幹線、富士山、桜、旭日。個人史と社会史が重ねあわされている。

《TADANORI YOKOO》1965年
京都国立近代美術館

人の視線を惹きつける術は絵画でも発揮される。日常生活の一コマと見せながら、三白眼で真っ赤な口を開く、あられもない娘たち。背景との違和感に不穏な気配さえ漂う。

《花嫁》1966年
東京都現代美術館

横尾のアイドル、ビートルズがインドに旅をしたというニュースを聞いてから約10年後、1974年にようやく訪れることができたインドで、横尾は生死にかかわる根源的な問いと向き合い、作品に昇華させていった。

《聖シャンバラ 火其地》1974年
東京都現代美術館

1981-2000

第3章 幻境

森羅万象の画家

1980年代に入って、横尾はグラフィック・デザインから絵画へと活動領域を移します。
いわゆる「画家宣言」です。そのきっかけとなったのは、1980年にニューヨークでピカソの大回顧展に衝撃を受けたことでした。
絵画に専念した横尾は、同時代の新表現主義の海外作家たちから刺激を受けつつ、
画家としての自己を確立しようと、様々な試みを行いました。
自然の中の肉体を描き、日本神話のような「大きな物語」に取り組んだり、絵画の中に異質な要素をコラージュし、
カンヴァスの上にカンヴァスを重ねて画面を複層化するなどの手法を行ったりしています。
実験的な試みを重ねていくなかで、「滝」の連作や涅槃シリーズ、赤の時代といった、死者や霊的な存在、夢の啓示や宇宙、異世界のイメージを自在に呼び起こし、実在の世界と幻の世界の境を軽やかに行き来する絵画を作り出します。
第3章では、様々な試行錯誤を経て、横尾の作品が森羅万象をモティーフとして受け入れる絵画へと進化を遂げていく様子を見ることができます。

いわゆる画家宣言から10年。横尾はつねに画家としての「私」を確認し続けている。

《解かれた第七の封印――画家の誕生》1991年 セゾン現代美術館

ドラクロワ、セザンヌ、ルソー、デ・キリコ、ピカビア・・・・・・。血の河を流れていくアーティストたちを見下ろしている蓬髪の裸女は、横尾が2019年から文芸誌に連載している長篇小説「原郷の森」に登場する女神キャサリンの姿を彷彿とさせる。

《安らかに眠れ》1987年 作家蔵(横尾忠則現代美術館寄託)

《浪漫主義者の接吻》1986年
愛知県美術館

ミケランジェロの《ダヴィデ像》と葛飾北斎の《諸国滝廻り 木曽路ノ奥阿弥陀ヶ滝》、それに滝の景観が複雑に、入れ子状に組み合わされ、比類のない画面が生まれている。まさに画家・横尾忠則の力業である。

《ミケランジェロと北斎の因果関係》1990年
横尾忠則現代美術館

描けば描くほど「絵」じゃなくなってしまうと感じられた作品は、モティーフを描き加えた順番通りにナンバーを打つことで完成したと言う。

《実験報告》1996年
東京都現代美術館

2000-現在

第4章 現況

Y字路の彼方に原郷を訪ねる

2000年以降の横尾忠則の絵画の展開に大きな比重を占める「Y字路」シリーズは、
横尾の郷里・西脇で、Y字路(三叉路)の角にあった模型屋が取り壊された跡をたまたま写真に撮ったことから生まれました。
忠実にカンヴァスに写し取られた、ひと気のない夜の町並みには、
いつかどこかで通り過ぎたことがあるような既視感と決定的なよそよそしさとが同居しています。
「Y字路」シリーズは、横尾個人の記憶から立ち現れた幻とともに、バブル後の沈滞する現代日本の闇に浮かぶ
昭和的世界の亡霊をも描き出しており、多くの人々の心を掴みました。
また、「ピンクガールズ」のように、過去の自作をも次々と引用し、反復や変奏を行いながら数多の作品を生み出す様子は、オリジナリティを何よりも重視する考え方に対する挑戦をも見て取ることができます。
第4章では、80歳をゆうに超えて、なお新たな創造へと向かっている横尾の現在地に迫ります。

右側には青々とした樹木、左側には真っ赤な墓地。Y字路は、生と死とを分かつとともに、両者を取り持つ。そしてY字路自体は、等しくどちらにも属している。Y字路の絵画のこのような特性は、観る者の心ととらえて離さない。

《暗夜光路 赤い闇から》2001年 東京都現代美術館

無声映画のスター、ルドルフ・ヴァレンティノの遺作「熱砂の舞」(1926年)におけるヴァレンティノとヴィルマ・バンキーの抱擁シーンを、トニー・カーティスとナタリー・ウッドが再現した写真(1963年)に基づく連作。抽象と具象、様々なスタイルのハイブリッド。

《愛のアラベスク》2012年 作家蔵

《想い出劇場》では、山梨県の石和温泉に行った際のエピソードがインデックス的に展開されている。

《想い出劇場》2007年
個人蔵(横尾忠則現代美術館寄託)

横尾の郷里である西脇は、綿織物の産地として栄えた町で、輸出用の織物につけられた西洋人の女性像を描いたラベルは、少年時代の横尾が初めて触れたアメリカン・ポップ・アイコンだった。様々なオブジェで顔を隠された女たちは、一転、異界からの使者のような相貌を示し始める。

《トイレットペーパーと女》2017年
作家蔵(横尾忠則現代美術館寄託)

ジュール・ヴェルヌの冒険小説『海底二万マイル』へのオマージュ。血湧き肉躍る冒険への憧れを、横尾は少年時代から持ち続けてきた。

《ジュール・ヴェルヌの海》2006年 世田谷美術館

故郷・西脇のY字路、B29、空襲で真っ赤に燃える空、進駐軍のMP、行水をする義母、古代シュメールの王ギルガメッシュ、空から降ってくるビラ、横尾の新聞記事・・・・・・。夢の中のように、奇妙な因果関係に支配された世界。

《追憶あれこれ》2019年 作家蔵(横尾忠則現代美術館寄託)

WITH CORONA

WITH CORONA

2020年5月。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、横尾は自分の作品や写真を素材に、
マスクをコラージュした「WITH CORONA」シリーズをツイッターとブログで発信し始めました。
その数はすでに数百点に及び、いまなお毎日増え続けています。

TADANORI YOKOO Official